1000頭のホッキョクグマに襲われ、数百人の集落が消滅…史上最悪の獣害「ラブラドール事件」の恐るべき真相 | ニコニコニュース
■知られざる世界最大の獣害「ラブラドール事件」
大正4年12月に発生し、8名が喰い殺された「苫前三毛別事件」は、日本最大の獣害事件として広く知られている。
しかし世界では、もっと凄惨(せいさん)な人喰い熊事件が起きている。
そのひとつがインド南部で発生した「マイソールの人喰い熊事件」である。
この事件では、12人が死亡、24人が負傷したとされ、「世界最悪の獣害事件」ともいわれる。詳細については、ケネス・アンダーソンの『MAN-EATERS AND JUNGLE KILLERS』(1957年初版)に記されている。
だが、今回筆者は、表題にある通り、単なる人喰い熊事件というより、ホッキョクグマによる大量虐殺ともいうべき、恐るべき獣害事件を記した新聞記事をみつけた。
19世紀のカナダ、ラブラドール地方で発生し、詳細な犠牲者数は不明ながら、数百名の村人が襲われ、喰い殺されたと報じられた事件である。
■インディアンが死んだ仲間を喰っている
当時の新聞報道を紹介しよう。第1報は次のようなものだった。
■空腹に駆られたホッキョクグマの大群が襲来した
ラブラドール地方はカナダ北東部、ニューファンドランド・ラブラドール州の一部で、グリーンランドにもほど近い。
同地方で大規模な飢餓が発生し、人間同士の共食いが起きたところに、さらに空腹に駆られたホッキョクグマの大群が襲来したというのである。
この記事は新聞各紙の耳目を集めたらしく、報道が過熱し始める。
その中でもっとも詳細に報じているのが、『ザ・サン』紙であった。以下、同紙の記事を引用する。
■4人の若者を除き、すべての人間をむさぼり喰った…
「ホッキョクグマに喰われる――イヌイットの村が、飢えに苦しむ獣たちの餌食に」
ラブラドールで3500人が飢えと野獣に殺された。先住民は飢饉に駆られて死んだ者を食べた――沿岸集落は消滅した。
セント・ジョン、ニュージャージー州、7月30日――ラブラドールでの恐るべき飢餓に関する報告が届いた。それは最近になってようやく知られるようになった、身の毛もよだつような熊による襲撃の悲話である。
約28家族が暮らす集落では、住民は生命を維持するために最低限必要な食料さえ欠乏し、非常に消耗しており、野獣に対して自衛のために槍を構えられるほど体力の残された者はほとんどいなかった。
その結果、熊は集落を一掃し、近くの岩によじ登って助かった4人の若者を除いて、すべての男性、女性、子供をむさぼり喰った。
■熊の喰い残しを狼が食べ尽くした
彼らはそこで、熊が次々に人間を襲って喰らう様子を48時間にわたって目撃した。そして熊が立ち去るのを待ちかねたように、今度は周囲を徘徊していた狼の群れが、熊の喰い残しを食べ尽くしていった。
48時間が経過するまでに、2人の若者が凍死し、直後に3人目も死亡した。
4人目の若者、ヨハン・アンデルセンというイヌイットは、仲間よりもいくぶんかましな防寒具を身につけていたので、今では恐ろしい墓場と化した、かつての自宅にたどり着くことができた。
彼は保管されていた他のいくつかの衣類と、打ち捨ててあった食べ物の破片を見つけた。
これらを武器に、23マイルないし24マイル離れた近隣の入植地ホワイトベアーを目指し、ほぼ奇跡的に到達することができた。
彼はそこで、彼が見てきた恐るべき物語を語り、貧しいながらも必要な救助を受けることができた。(後略、The Sun. July 31, 1886)
■3500人が犠牲になり、「食人」も行われた…
「3500人が飢えと野獣に殺された」というショッキングな記事は、アメリカ全土に衝撃を与えたらしく、地方各紙に転載された。
さらに各紙は続報を伝えている。以下の記事もまた、多数の新聞に転載されたものだ。
「ラブラドールの恐怖 セント・ジョーンズ、ニューファンドランド 7月30日」
ラブラドールのオコックからナンシー・バレット号で到着したイヌイット、ヘルジェナティス・テルは、居住地の人口130人ほどが、彼と妻が立ち去ったとき、すでに死に絶えていたと語った。
3月上旬に、油数滴とアザラシの皮の破片が配られ、まれにクマが捕獲されたが、最終的に物資はほとんど使い切ってしまった。
6月3日、彼らは6日間何も食べず、飢えに駆られて、それまで仕えていた白人と、凍死した数人のインディアンの死体を喰った。仲間の一人が死ぬと、死体は凍結されて、後に喰われた。
■何千ものホッキョクグマが人間を襲った…
この死肉から恐ろしい赤痢が蔓延し、7月1日の時点で生き残っていたのは16名に過ぎなかった。彼らは25人以上の死体を喰って飢えをしのいだのだった。
16名の生存者は、4匹の犬に引かれたソリで海岸を下った。マグフォード岬から約24マイルの地点で、激しい吹雪に見舞われた。一行が道を見つけようとしているうちに、25頭ないし30頭のホッキョクグマが彼らを襲い、2名を除く全員が喰い殺された。生き残った2名は無事にマグフォード岬に辿りつくことができた。
何千ものホッキョクグマがペニーランドから渡ってきて、オコックの貯えを略奪し、墓を掘り起こし、死者をむさぼり食い、人間を襲った。
クマの大群は、広大な地区を荒廃させ、そこに暮らしていた住民は集落を捨て、飢えに駆られて漁港に群がり、クマの群れに追われて、多数が喰い殺された。
アザラシ漁の中心地であるホープデールも、食糧不足とクマやオオカミの襲撃に悩まされた。過去2カ月のうちに、150人以上が寒さや飢餓、そして野獣の餌食となって命を落とした。
飢えに狂った男たちは、死んだ仲間の残骸をめぐってクマと戦ったが、クマにとってはエサが2倍になっただけだった。(The weekly Union times. August 13, 1886)
■「飢餓に関する報告は間違い」ニューヨーク・タイムズが報じる
一方でこの事件の真偽は疑わしいという報道もあった。
ニューヨーク・タイムズは、「THE PEOPLE NOT STARVING.」の見出しで、
と報じた。
■「ホッキョクグマの群れが人間を襲う」ケースはある
また他紙でも次のような報道があった。
ホッキョクグマによる襲撃は本当にあったのか。
そもそも単独行動を好むクマが、数千頭もの大群となって集落を襲うことなどあり得るのだろうか。
2019年2月、ロシアの極北の集落にホッキョクグマの群れが居座り、住民が屋外に出られなくなったという事件をニューズウィーク日本版が「ホッキョクグマ50頭が村を襲撃、非常事態を発令」という見出しで報じている 。
記事によると、ロシア北東部にあるノバヤゼムリヤ列島の定住地、ベルーシャ・グバでは、50頭を超えるホッキョクグマが住宅やオフィスに侵入し、人を攻撃する例も確認されており、当局が非常事態宣言を発令したという。
■「世界最大の獣害事件」の可能性
温暖化などによってエサ不足が深刻化し、ホッキョクグマが必要以上に人間の居住地に近づくようになっているとも言われる。
飢餓に駆られたホッキョクグマが極めて危険であることは、よく知られている。
冒険家植村直己も、ホッキョクグマに遭遇して生命の危険を感じたという体験を記録している。
犠牲者数が最大で数百名に達したという、ラブラドールでの惨劇は、果たして事実なのか。
一連の報道を総合すると、フェイクであった可能性もある。
しかし「数千頭」は大げさとしても、数十頭のホッキョクグマが群れをなして集落を襲撃するような事件が実際に起きた可能性は、ないとは言い切れないのではないか。
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ノンフィクション作家・人力社代表
明治初期から戦中戦後にかけて、約70年間の地方紙を通読、市町村史・郷土史・各地の民話なども参照し、ヒグマ事件を抽出・データベース化している。主な著書に『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社)など。
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(出典 news.nicovideo.jp)
acony 情報ソースがThe Sun. July 31, 1886(検索すれば見られる)というのがどうにも。飢饉と病気で多数の人が亡くなったのは事実だとして、野生動物に襲われた事も可能性としてはあるのだろうけどかなり脚色されていそう。「マイソールの人喰い熊」はwikipediaのページがあるが、この事件は用語を変えて検索してもこの記事しか出てこなかった。 |
納豆御飯 18世紀のフランスであったとされる『ジェヴォ―ダンの獣』事件を思い出したよ。未だに真相は不明とされる点でも似てはいるけどね。でも、さすがに1000頭はねーよ。話を盛るにしても限度ってのがある。どこぞの人喰い熊に犬が挑んだ某少年漫画じゃあるまいし、熊が群れで行動する訳ないだろ。 |
__ 要約すると「複数のタブロイド紙などで記事にされたが別の複数の新聞では否定された話で証拠はない」けど、「規模は二桁落ちるが似たような事件はあったのであり得ない話ではないよね?」ということですね。…いやいや。 |
ミネバ様絆♪ ちなみに北極熊。(まあ大体の熊もそうだが)「群れ」として行動することは無いんだが、「食い物」のあるところには個々で押し寄せて結果的に「大集団」になることはある。飢えてる時期に鯨の死体が打ち上がったりしたらそらぁもう、半径百キロ圏内総出の勢いでやってくる。すでに人間同士の殺し合いで「匂い」が出てたら、「集まってくる」はあり得る話ではある。 |